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前世 ・ 今生 ・ 来世についてを哲学的にとらえたら

日本民族考


幸せだなって思う瞬間がある。
おいしいものを食べたり、人に優しくされたり、新しい経験をしたりして。

ダメージを受ける時もある。
心無い言葉だったり、届かない目標だったり、環境からくるものだったりして。


壁にぶつかって、体調崩したりして、一生懸命考えてあたらしい道をみつけて。
ふと『これで良かったのかな』って思う時もあるけど、自分を信じて進もうと思う。

この心で今を生きている。

私はもうそんな今と数年先くらいのことでいっぱいいっぱい。
ですが、世の中には今の人生につながる自らの「前世」「死後」の世界について思いを馳せる人、研究を重ねる人など、さまざまな立場での意見が交わされていますね。
人によってはその領域で交流をし、メッセージを受け取ることもできるとか。

shikishima氏もその存在について思いを巡らせ、どう捉えるかという考え方を仏教の観点で記事を書かれています。
〉〉日本民族考

日本民族考 : 日本民族考

死んだら何が見えるのか? 死後の世界があるのかないのか?
臨死体験をされた方のお話ではそういったことを耳にしますが、もっと範囲を広げてその存在を考えているのです。

今生を全うした後 『中院期間』 でのさまよいを経て『転生』する。
そのように捉えることで、今のこの人生にもまた違った意義を見出せるのではないか。
という見方をされているのですね。

今を取り巻く環境を少し客観的に見ることができれば、置かれている状況への心持ちも少し軽くなるのではないかというような気がします。

また、sihikisima氏ご自身についてはこのように考えられています。

今から2千百余日先、私は6年目の79歳で冥界に帰りたいと願っている (年月が外れたら恥)。
49日の中院満ちて後、今度はチベット付近に生を受け、僧になり、「苦」のドラマの中に今度こそ何かを覚え、世間の役に立ちたい。
私は合理主義者であるから、死期を一定時期に定め、身近に引き寄せることにより、今生に成し得る事柄に整理がつき易いと考えた。 

運命というものがあるとしたら、それを大きな視野をもって取り込んでいるよう。

ここに思い至るまでの73年という年月をかけて見続けてきた、社会構造の在り方、文明の発展、地球環境に至るまで。その想いの本質が記事にて明らかにされています。

今を生きるこの場面が、また違ったように見えてきそうです。



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